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年代別、流行のメイク



年代別、流行のメイク



1950年から現在までの流行メイクはどのように変化しているのでしょうか。

メイクは一定周期で繰り替えされています。
1950年?1970年、メイクデザインは1一つの形が出来上がりました。現在のメイクは、これまでのメイクが進化した形になっていると思われます。

1950年代、お洒落の手本はヘップバーンのメイクでした。
この時代は、戦後欧米のファッションが取り入れられ、手本となる人は映画の女優さんでした。
エレガントをめざし、外人女優に憧れた時代です。その中でも特に注目されたメイクは、肌は白めのファンデーション、眉は太く短めの直線、目は太く切れ長に、そして真っ赤な口紅。このメイクが50年代流行したメイクです。
庶民的で可愛い「ツイギー・メイク」

1960年代前半は、淡い色のメイクが流行しました。今までは赤と決まっていた口紅に、淡いピンクが登場し、眉は太めから、丸く細い形に変化しました。メイクの特徴は、白めの肌に目は、太めのアイラインと淡い色、頬は中央にピンクが60年代前半のメイクです。

60年代後半?70's前半のメイクは、付けまつ毛と二重アイラインでした。
色白の肌から小麦色の肌へ変化します。メイクはアイメイクが中心で、目を強調する事がこの時代のメイクの特徴です。
現代と少し似ています。メイクの特徴は眉がさらに細く、薄くなりました。目元には、付けまつ毛と極端なアイライン、頬を立体的に引き締め、口元は目を強調するためにベージュ系が使われました。
太い眉の「ナチュラルメイク」に一転

70年代は、DCブランドとバブルの時代。70年代、眉は自然のまま、色は使わないメイクが流行しました。
ナチュラルメイクが一番綺麗とされた70年代です。メイクの特徴は、肌がオークル系に変わり、目元は何もしない、もしくはブラウン、ベージュ系、口元も落ち着いたブラウン系の色が使われました。

80年代後半のメイクはジュリアナ・メイクが流行となります。
バブルの好景気で、洋服もカラフルなボディコンが流行しました。ディスコブームは、仕事後メイクも華やかに、赤紫系の派手なリップが
特徴です。眉は、徐々に形を揃えはじめ、肌はオークル系が定着します。目には華やか色を、口元は、強い赤紫が流行でした。

90年代の一般メイクはバブル崩壊し、細眉メイクが復活します。
メイクの特徴は、眉は細く、色はブラウン系かグレー系が流行します。
肌はオークルかナチュラル系で、目元に明るめの色とマスカラが加わりました。頬はオレンジ系のナチュラルカラーで、唇はピンク系か、ベージュで自然に仕上げました。

90年代のもう一つのメイクはコギャル文化です。
メイクは色黒を強調し、綺麗なメイクが異質な物へと発展して行きました。
メイクの特徴は、眉を薄く、またはそり落とします。肌は、日焼けサロンを活用し黒に。目には、より太くアイラインを引きます。
シャドウは、白のアイシャドウで、濃い付けまつ毛がポイント。口は白いピンク系が流行となりました。

2000年は、まつ毛を強調したツヤ肌メイクが特徴です。

コギャルのメイクが2000年のメイクに発展し、目を強調するアイメイクがポイントになります。
メイクの中心はまつ毛です。マスカラや付けまつ毛も欠かせないアイテムに。
そしてパールを強調したメイクが特徴です。眉は、形を整えて薄いブラウンに、肌は小麦色とツヤ肌を強調し、目元は落ち着いたパール系
のシャドウとまつ毛を強調、頬は落ち着いた色で立体感を出し、唇にはリップグロスを塗ります。
化粧品のほとんどにパールが入りました。








流行のアイシャドウ



今年のアイシャドウの流行は、ナチュラルです。
シーズンごとにアイシャドウは次々と新しい色が発売されていますね。
どのアイシャドウを買うか、何色がキレイに見えるのか悩むと思います。

アイシャドウの鮮やかなグリーンやブルーは、ついつい手が伸びてしまいがちですが、この2色は、日本人にはとても難しい色です。

なぜ難しいのか。
ブルーの色は、身体の中には無い色素なので、日本人の肌の色に合わず、かけ離れている色と言えるからです。
ブルーは、つけた瞬間キレイに発色しますが、時間が経つにつれてくすみます。ブルーのカラーが変色するとシルバーのような色なって行きます。さらにクレンジングでしっかり落としてあげないと、色素沈着を起こします。それが、肌のくすみの原因になってしまうのです。
特にブルーはくすみの原因になりやすいカラーと言えます。

ピンクなど、暖色系のアイシャドウは目を重たく見せます。一重まぶたの人や、目が腫れぼったいと感じる日は、暖色系のアイシャドウは避けるようにしましょう。

流行になっているナチュラルな黄色っぽいカラー、ブラウン、薄いブラウンのアイシャドウは、目元を自然な仕上がりに見せてくれます。
そして表情をイキイキと見せてくれます。写真に写るときなども自然な影が出来ます。

メイクをする時のアイシャドウとまゆのポイントは、すぐにまゆ毛を描かないことです。
アイシャドウを先にして、まゆの濃さは、雰囲気に合わせて書くようにして下さい。まゆ毛を仕上げは全体のバランスを整えてくれます。

流行のナチュラルなアイシャドウですが、流行に関係なく、自分に合うシャドウのカラーを見つけて、毎日美しい自分に変身できるメイクをしてくださいね。








今、流行しているスキニーデニム



今、流行しているスキニーデニムとは、どんなデニムなのでしょうか。
スキニーは、脚にぴったりとフィットする、超タイトなジーンズのことを言います。
スキニーの意味は骨と皮ばかりのという意味を指しています。

これまで、細いタイプのジーンズは昔からスリムジーンズと呼ばれていました。
しかしスキニーは、それよりさらに細いということを強調していて、とても美脚に見えるすぐれものです。

2007年だけでなく、この先もスキニーデニムは流行すると思います。
かわいい着こなしの仕方は、脚が細いシルエットになっているので、上に着る服は、やや大きめのチュニックか、ひざ上のワンピース、ロングカーディガンなどがお勧めです。

靴は、かわいいバレーシューズなども合わせやすく、もちろんパンプスでもOKです。ヒールが高すぎるとバランスがとれないこともあるので、お気に入りのスキニーデニムを履いた状態で、靴を選ぶことをお勧めします。

これからの季節はブーツが流行になるので、スキニーならブーツインもOKです。
ブーツの中にデニムがすっぽりと入り、脱ぐ時もらくなので、お勧めです。ブーツの長さは、ひざ下または、脹脛ぐらいの長さがベストだと思いますよ。

スキニーデニムはそれぞれのメーカーから出ているので、好きな色やデザインを選ぶことが出来ます。
シンプルなスキニーデニムなので、デザインもシンプルな物を選んだほうが、いろいろな服に合わせやすいのでいいと思いますよ。

今年流行のスキニーは、みなさんにお勧めのデニムです。








今流行しているビリーズブートキャンプ



今流行しているビリーズブートキャンプ。
このビリーズブートキャンプとは、DVDを見ながら自宅でエクササイズが出来る商品です。

内容は基本プログラム、応用編プログラム、腹筋編プログラム、最終編プログラムの4本セットになっています。

ビデオの映像に従って7日間運動します。減量プログラムを消化し、短期集中型でエクササイズが出来きます。
2007年に大流行したビリーズブートキャンプは普段、運動から遠ざかっている人にはちょっとハードな内容です。
しかし、プログラムを正しく実行することで、激しい有酸素運動はエクササイズ効果が期待できます。
効果には個人差がありますが、映像を見ながら楽しく運動することが出来ますよ。

メリットは、個々のペースで取り組むことが出来る点です。しかし、長いプログラムは55分なので、負荷も加わります。
通常時から血圧の高い人は、激しい運動をしたことで、脳出血など急性症状を引き起こす恐れがあるので、無理をしないように、注意して下さい。体力に自信がある人でも、不調を感じた時は、エクササイズを休憩したり、その日は休んだりしてください。

ビリーズブートキャンプは、バンドを用いたエクササイズもあります。
バンドは非常に負荷がかかるので、初めてやる人や、運動不足の人ははじめバンドを使わずにエクササイズを楽しみましょう。

このビリーズブートキャンプは、日本ではCATV等で放映されたことがきっかけで、話題を呼び流行がひろまります。
CMが口コミで評判を呼び、インターネット等でも知られるようになりました。
減量を目的とした軍隊の基礎訓練がベースになっているビリーズブートキャンプは、社会現象とも呼べる大流行となりました。

はじめは、はりきって動きますが、翌日かなりの筋肉痛になったので、はじめは張り切らずに、自分のペースでエクササイズを楽しんでくださいね。








2004年の流行と流行語



2004年、流行語、年間大賞に選ばれた言葉は、チョー気持ちいい、受賞者は北島康介さんに贈られました。
流行語のトップテン入りになった言葉は、気合だー!、サプライズ、自己責任、新規参入、セカチュー、中二階、負け犬、冬ソナなどの言葉でした。波田陽区さんの言葉もトップテン入りとなり、って言うじゃない…、○○斬り!、…残念!!など、この時代のギャグとして流行しました。
負け犬の言葉は、結婚していない女性の間では特に流行した言葉です。

ファッション界では、セレブファッションが流行し、キティやミッキーなどのキャラクターもブームになりました。

■2004年に起こった主な出来事。

震度7の新潟県中越地震が発生。
台風上陸が最多の10個。
北朝鮮拉致被害者家族が帰国、ジェンキンスさんも来日。
プロ野球が大再編、選手会は初のストライキ。
小学6年の女児の同級生殺害など、子どもをめぐる事件が多発。
79年ぶりに国内で鳥インフルエンザ。
日本で新紙幣発行。 (1万円札が福沢諭吉、5千円札が樋口一葉、千円札が野口英世)
アテネ五輪で日本選手善戦、メダル最多の37個
米大リーグでイチロー、松井秀喜らが活躍。

映画界で話題になった作品は、ラスト サムライ、ハリー・ポッターとアズカバンの囚人、ファインディング・ニモ、ロード・オブ・ザ・リング王の帰還、スパイダーマン2、ハウルの動く城、世界の中心で、愛をさけぶ、いま、会いにゆきます、クイール、スウィングガールズ、半落ちなど、2004年は話題になった映画がたくさんありました。

音楽界では、さくらんぼ(大塚愛)瞳をとじて(平井堅 )Jupiter(平原綾香)花(ORANGE RANGE)かたちあるもの(柴咲コウ)
ロコローション (ORANGE RANGE) 桜(河口恭吾)などがヒットしました。








2005年の流行と流行語



第22回を迎えた2005年、流行語年間大賞は、小泉劇場でした。受賞者は武部勤さんに贈られました。
そして想定内(外)も大賞に選ばれました。受賞者は堀江貴文さんに贈られました。

2005年、トップテン入りを果たした流行語は、クールビズ、刺客、ちょいモテオヤジ、フォーー!、富裕層、ブログ、ボビーマジック、萌え?などの言葉が流行語になりました。

フォーー!はレイザーラモンが、ハードゲイに扮し、レイザーラモンHGとして大ブレイク。独特の腰の動きは、子供たちの間でも流行になり、親に頭をたたかれる子どもが続出します。OKわかりましたフォーー!などの使い方はブームになりました。

萌え?は、ある事物に対して、深い思いを抱くことを指しています。萌え業界、もえたん、萌え銘柄、萌え株本、萌え属性など使い方も様々です。女の子がコスプレの衣装で萌え?と言う姿が印象的でした。

2005年は、ファッションビルや商業施設が次々とオープンしました。

三井越後屋ステーション、ダイヤモンドシティ・クレア熊本、ファッション専門店「三田阪急」小田原ラスカ、京阪シティモール、千歳アウトレットモール、レラ、鹿児島ウォーターフロント「ドルフィンポート」ララスクエア宇都宮、新宿三越 アルコット、名古屋港イタリア村、ラシック[LACHIC] マリーナホップ 広島、土岐プレミアム・アウトレット、仙台クラックス、サンシャイン栄、中部国際空港 セントレアなど、全国各地に新しい施設が誕生しました。

映画では、ALWAYS三丁目の夕日、北の零年、蝉しぐれ、パッチギ!などが話題になり、流行した映画になります。








2003年の流行と流行語



2003年の流行語、年間大賞に選ばれた言葉は、毒まんじゅう、マニフェスト、なんでだろう?の言葉でした。
なんでだろう?は、タレントのテツandトモさんのギャグで、彼らの振り付けも当時流行しました。

流行語のトップテンに選ばれた言葉は、「勝ちたいんや!」受賞者は星野仙一さんに贈られました。
他に、コメ泥棒、SARS、年収300万円、バカの壁、ビフォーアフター、へぇ?などの言葉がトップテン入りを果たしました。
へぇ?はフジテレビの「トリビアの泉」から流行した言葉です。普段の会話のなかでも「へぇ?」と言いながらボタンを叩く仕草をする人が続出し、社会現象となりました。

セレブ、おれおれ詐欺、パティシエ、ゲッツなどの言葉も2003年に流行しました。


2003年、ファッションの流行は、ヌーブラが女性の間で大ブームとなりました。
ヌーブラとは、胸に直接吸着さるシリコン素材の米国製ブラジャーです。
他にはスカートスタイルが復活し、アシンメトリーの流行、ニーハイブーツやレッグウォーマーなども注目されました。

■2003年に起きた主な出来事

冬のソナタブーム。
政府はイラクへ自衛隊派遣を決定。
阪神タイガーズ18年ぶりのリーグ優勝。
長崎で中1少年が男児殺害など、少年少女関連の事件が続発。
宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」がアカデミー賞受賞。
10年ぶり冷夏でコメや季節商品に影響。
おれおれ詐欺。

2003年、映画界で話題になった作品は、ロード・オブ・ザ・リング、ハリー・ポッターと秘密の部屋、マトリックス、ターミネーター3、ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔、パイレーツ・オブ・カリビアン、踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!黄泉がえり、座頭市などが注目されました。
音楽界では、世界で一つだけの花(SMAP)もらい泣き(一青窈)、福山雅治、宇多田ヒカル、森山直太郎などが活躍しました。








2002年の流行と流行語



2002年のファッションの流行は、重ね着、リメイク感覚、ボヘミアンルック、アンティーク調のアクセサリー、白のコーディネイト、透ける素材、おしゃれ眼鏡、B系 ブラック系ストリートスタイル、ダブルボトムスタイル、クロスモチーフのペンダントなどが流行しました。
ニット帽子は、耳当て付きやボンボリ付きが流行し、ターバン風のニットが若者の間でブームになりました。
男性の髪型では、ソフトモヒカンが流行し、ベッカム選手の髪型をまねたスタイルが目立ちました。

■2002年に起きた主な出来事
日朝首脳会談、拉致被害者5人帰国。
ノーベル賞初のダブル受賞。
疑惑で田中真紀子氏ら4議員辞職。
鈴木宗男議員逮捕。
毒物カレー事件で林被告に死刑判決。
タマちゃんに癒された人々。
このニュースは、多摩川アゴヒゲアザラシの「タマちゃん」が現れた出来事です。タマちゃんの丸くて愛くるしい姿は人々を魅了し、多くのファンを生み出しました。タマちゃんを見守る会までが結成されるほどの人気となりました。

映画界では、シカゴ、ハリー・ポッターと賢者の石、モンスターズ・インク、スター・ウォーズ・エピソード2、ロード・オブ・ザ・リング、スパイダーマン、猫の恩返しなどが話題になりました。
音楽界では、浜崎あゆみ、中島美嘉、宇多田ヒカル、元ちとせ、Dragon Ash、GLAYなどがヒット曲を生み出し活躍しました。

2002年の年間、流行語大賞は、タマちゃんとW杯に贈られました。
トップテンに入賞した流行語は、貸し剥がし、声に出して読みたい日本語、真珠夫人、ダブル受賞、内部告発、ベッカム様、ムネオハウス、拉致などの言葉でした。
流行語、特別賞はGodzilla、松井秀喜さんに贈られました。

他に、びみょー、プチ整形、イケメン、マイナスイオン、ワン切りなどの言葉も多く使われた年でした。








2001年の流行と流行語



2001年の流行語は、年間大賞に小泉純一郎さんが選ばれました。
その言葉が、米百俵、聖域なき改革、恐れず怯まず捉われず、骨太の方針、ワイドショー内閣、改革の「痛み」です。
たくさんの説得力あるキャッチフレーズで、01年最多の流行語生みの親になりました。
トップテン入賞に選ばれた流行語は、「明日があるさ」e?ポリティックス、狂牛病、塩爺、ショー・ザ・フラッグ、生物兵器、抵抗勢力、ドメスティック・バイオレンス、ブロードバンド「ヤだねったら、ヤだね」などが選ばれました。この時代の流行語は難しい言葉が多かったように思います。
流行語、語録賞に選ばれた言葉は、「人間て、なかなか死なないもんだ」「ファンの皆さま本当に日本一、おめでとうございます」でした。「人間て、なかなか死なないもんだ」は、長崎県沖で行方がわからなくなったのは繁栄丸の船長、武智三繁さんの言葉です。
約1カ月後に無事救助され、陸に上がって話した感想の言葉でした。漂流1カ月後の生還に日本中が驚きました。

ファイナルアンサーの言葉も、2001年に流行しましたね。

ファッションでは、2000年に引き続き、つっかけ型のサンダルが大流行します。
柄タイツやストッキングは、片方ずつ買えるタイプが発売され、柄の組み合わせを楽しむはき方も話題となりました。
他に、ホールターネック、シャツスタイル、80年代スタイル、脚長パンツ、股上が浅いローラライズ・ジーンズ、長さが2m以上のニットのロングマフラー、キャスケット帽子などが流行しました。
この中で現在あまり見なくなったのは、片方ずつ買えるストッキングですね。

■2001年に起きた主な出来事
雅子さま女児出産 「敬宮愛子」さまと命名。
小泉内閣発足。
国内で初の狂牛病を確認。
女子マラソンで高橋尚子選手が世界最高記録樹立。
大阪池田小に刃物男が乱入。
イチロー、米大リーグで大活躍。
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンオープン。
札幌ドームがオープン。
埼玉スタジアムオープン。
東京ディズニーシーがオープン。

映画界では、A.I、パール・ハーバー、ジュラシック・パーク3、ダイナソー、千と千尋の神隠し、バトル・ロワイヤルなどが話題になりました。音楽界では、浜崎あゆみがヒット曲を連発し、w?inds.CHEMISTRY、桑田佳祐、ポルノグラフィティ、宇多田ヒカルなどが注目されました。








2000年の流行と流行語



2000年に流行した言葉や、ファッション、時代の背景などをまとめてみました。
ファッションでは、レザースタイル、厚底ブーツ、Gジャン、編みタイツ、カラータイツ、ミュール、千鳥格子柄、ストール、太い毛糸のマフラー、腰パンなどが流行となりました。そして価格もリーズナブルなユニクロ化現象も起きました。
アウトレットモールが全国へ次々に出店し、2000年は、安くていいものが流行になった時代でした。

■平成12年に起こった主な出来事
シドニー五輪で女性選手が大活躍。
三宅島噴火で全島民が避難。
食品メーカー製品で集団食中毒が発生。
日本シリーズで長嶋巨人日本一 。
北海道の有珠山が噴火。
iモードブーム(出会い系、着メロ、待ち受け等)
ネットオークションブーム。
ストーカー行為に対して、ストーカー行為規制法が成立。
アメリカ大リーグでは佐々木主浩投手が新人王、イチローが日本人初の野手として大リーガーとなる。

映画界では、シックス・センス、グリーンマイル、トイ・ストーリー2などが話題になりました。
音楽界では、TSUNAMI(サザンオールスターズ)桜坂、らいおんハート、ちょこっとLOVEなどがヒットした年でした。

第17回目を迎えた2000年の流行語大賞は、慎吾ママの「おっはー」とIT革命でした。子供から、お年寄りまで、おっはーの言葉が流行しました。
流行語、特別賞は「最高で金 最低でも金」受賞者は田村亮子さんに贈られました。他に入賞を果たした流行語は、一七歳、パラパラ、めっちゃ悔し?い、ワタシ的には…などが世間の間で使われていた言葉でした。
この時代の流行語は、誰かが話した言葉が多く、パラパラは社会現象が起こるほど、若い人達の間で話題になりました。

2000年は、出会い系サイトが流行り始めた時代。今はとても恐ろしい事件などがこの出会い系によって何件も起きています。
流行は、とてもいいものですが、時にとても恐ろしい事件を引き起こしてしまうことも考えなければならないと思います。








1999年の流行と流行語



1999年の流行は、どのような物が流行っていたのでしょうか。

ファッションでは、アクセサリー感覚の付け毛が人気となりました。
厚底靴は、かかとの高さが、15??20?で若い世代の女の子に大人気となりました。
ギャルの間では、ヤマンバが流行し、日サロに通う若者が増えました。
ヤマンバの特徴は、金や銀に髪を染め、メイクはガングロ、白いアイシャドーに白い口紅といった今では考えられないメイクです。
実際、私もヤマンバになりかけました。

他に、刺繍、ビーズなどのブラウスやスカートが流行し、手編み調のニット、鳥の羽根をあしらったアクセサリー、欧米の民族衣装風のファッションなども流行りました。

■この年に起こった出来事

臓器移植法に基づく初めての脳死移植が実施される。
銀行の大型再編相次ぐ。
国旗・国歌法が成立。
プロ野球でダイエーホークスが球団創設初の日本一に。
サッチー&ミッチー老婆バトル。
石原慎太郎が東京都知事に。
家庭内暴力、幼児殺害など社会問題化。

映画界では、アルマゲドン、スター・ウォーズエピソード1、マトリックス、シックス・センス、リング2、鉄道員などが話題になりました。音楽界では、Winter, again(GLAY)だんご3兄弟、LOVEマシーン、フラワーなどが流行した音楽になります。

第16回目を迎える、1999年の流行語大賞は、ブッチホンとリベンジ、雑草魂でした。
トップテン入賞になった流行語は、学校(級)崩壊、カリスマ、ミッチー・サッチー、西暦2000年問題、だんご3兄弟、癒し、iモードなどの言葉でした。








1998年の流行と流行語



1998年の流行語大賞に選ばれた言葉は、ハマの大魔神、だっちゅーのでした。
「だっちゅーの」は、現在はあまり聞かない言葉ですが、当時は両腕で胸をはさみ、谷間を強調するポーズが流行しました。

この年トップテン入賞に選ばれた流行語は、環境ホルモン、貸し渋り、老人力、ショムニ、モラル・ハザード、「凡人・軍人・変人」、「冷めたピザ」、日本列島総不況でした。特別賞は、スマイリング・コミュニスト、ボキャ貧でした。この年の流行語は、堅苦しい言葉が多く受賞しているように思います。

他にもこの年によく使われた言葉があります。
キレる、むかつく、ビ・ ビ・ ビ、ガツン、バイアグラ、女子アナ、着メロ、モーニング娘などの言葉が流行しました。

1998年のファッションは、ヴィジュアル系の登場、ネイルアートのブーム、迷彩柄、豹柄などプリントもの、カーキ、グレーなどのカラー、カウボーイハット、キャミソール・スタイル、トートバッグ、プリーツスカートの復活、ヴィヴィアンウエストウッド、コムデギャルソン、厚底靴、極細ジーンズ系スタイルが流行となりました。現在、厚底靴は姿を消しましたが、ネイルアートやカーキ、グレーカラーはそのまま時代を問わず、流行となっていますね。

■平成10年の出来事
第18回冬季オリンピック長野大会が開催。
和歌山でカレー、ヒ素混入事件。
プロ野球 横浜ベイスターズが38年ぶりに日本一に。
北朝鮮のミサイル「テポドン」三陸沖に落下。
黒澤明映画監督が死去。
若乃花連覇で史上初の兄弟横綱誕生。
自殺ブーム。
100円ショップの増加。

この年の映画界は、恋におちたシェイクスピア、タイタニック、ディープ・インパクト、踊る大捜査線 THE MOVIEなどが流行となりました。
音楽界では、wanna Be A Dreammaker(globe )夜空ノムコウ、タイミング、長い間、愛されるより愛されたい、ピンクスパイダーなどが話題になりました。








1997年の流行と流行語



1997年の流行は、どのようなものが流行していたのでしょうか。

この年は和物がブームになりました。他に日本人デザイナーのブーム、裏原宿スタイルの流行、モード系ファッション、ローテクシューズの流行、ヴィンテージファッションなどが注目を集めました。
ホルターネックの肩出しファッションや、スリットが入ったミニスカート、ババシャツと呼ばれる袖のついた薄手の肌着、足にぴったりフィットするストレッチブーツ、ハイソックは紺色が人気となり、女性の間で話題になったアイテムが続々登場しました。

1997年は小顔ブームで、ひきしめ美容クリームが大ヒットし、若い男性にまで、男性用化粧品が続々と発売された年でした。

■平成9年に起こった出来事

消費税率を5%に引き上げ。
神戸市須磨区の児童殺傷事件で14歳の少年逮捕。
日本サッカー 悲願のワールドカップへの出場決める。
たまごっちなど単純なゲームが流行。
ポケモンが大人気。
犯罪の低年齢化。
デジタルカメラやデジタルビデオが人気に。
英国のダイアナ元皇太子妃がパリで交通事故死。
ノーベル平和賞受賞者のカトリック修道女、マザー・テレサが死去。

1997年に話題になった映画は、タイタニック、インデペンデンス・デイ、スピード2、Shall We ダンス? 」もののけ姫、失楽園などが流行となりました。音楽界では、CAN YOU CELEBRATE?(安室奈美恵)硝子の少年、ひだまりの詩、PRIDE、白い雲のようになどが、お店などでよく流れている音楽でした。

この年、第14回を迎える流行語大賞は、失楽園でした。
不倫を失楽園と言う現象が起こり、まるで不倫がブームのような年になりました。

流行語トップテン入賞は、たまごっち、時のアセス、ガーデニング、日本版ビッグ・バン、透明な存在、もののけ、パパラッチ、マイブーム、郵政3事業などが選ばれました。1997年の流行語は、透明な存在、もののけ、パパラッチなど、世間で騒がれた話題がそのまま形になっていることがわかります。

他によく使われた言葉は、キティちゃん、ポケットモンスター、キティラー、キシリトール、アダルトチルドレン、イケてるなどの言葉が流行しました。








1996年の流行と流行語



1996年はナイキブームでした。ハイテクスニーカー等のレア物や、エアマックスが若者を中心に大人気となり、オークションサイトなどが流行した年になりました。

ファッション界では、70年代の服装が流行し、白黒からカラー化に変化します。
モード系のファッションも流行し、マキシコートも大人気。
若い女性の間では、安室奈美恵さんをまねたファッション、アムラーの若い女の子が急増します。
アムラーの特徴は、茶髪にロングヘア、細い眉でベージュ系のメイク、厚底の靴にミニスカートかショートパンツといったスタイルでした。ナマ足も女性の間で流行し、柄タイツもブームになりました。
高校生の男子は、スニーカーに腰の低い位置ではきこなすスタイル、女子高校生はミニスカートにルーズソックスが流行しました。

■1996年に起こった出来事

病原性大腸菌、O157による食中毒。
アトランタ五輪の開催。日本勢の獲得メダル数14個。
薬害エイズ事件で、安部前帝京大副学長が逮捕。
北海道の豊浜トンネルで落盤事故が発生。
渥美清氏が死去。
プロ野球日本シリーズでオリックス初の日本一に。
三菱銀行と東京銀行が合併。
たまごっちの発売。
チャールズ英皇太子とダイアナ妃の離婚が正式に決定。
ヨーロッパで狂牛病。欧州委員会は英国産牛肉の輸出禁止を決定。

映画界では、ミッション・インポッシブル、セブン、ベイブ、ノートルダムの鐘、Shall We ダンス?などが話題になりました。
音楽界では、Don't wanna cry(安室奈美恵)アジアの純真(Puffy) 名もなき詩、LA・LA・LA LOVE SONG、チェリー、愛の言霊などがヒットしました。

1996年の流行語大賞は、「自分で自分をほめたい」メークドラマなどに贈られました。
トップテン入賞の流行語は、援助交際、ルーズソックス、チョベリバ、チョベリグ、閉塞感、アムラー「ガンと闘うな」不作為責任など。
お恥ずかしい話ですが、チョベリバ、チョベリグは私も使っていました。とても恥ずかしいです。

他に流行語になっていた言葉は、ジミ婚、ストーカー、プリント倶楽部、Eメール、電子マネー、芸能人は歯が命、バリアフリー、夫婦別姓などが流行っていました。この時代のプリクラはまだ初期で、今のように写りもよくなかった記憶があります。








1995年の流行と流行語



1995年は、D&G、CK、DKNYの略字ブランドが人気となりました。
街ではコギャル現象と言って、シャネラーやグッチャー等の若者が多く集まりました。
ブランドのプラダファッションの流行や、光沢素材の流行、コンパクトサイズの物も大流行しました。

記憶に新しいチビTが流行し、このことをへそ出しルックと呼びました。
スノーボードのブームや、SMAP、安室奈美恵、そしてラップが流行った年でした。


第12回、1995年の流行語大賞は、無党派。受賞者は青島幸男さんに贈られました。
そしてNOMO。受賞者は野茂英雄さんに贈られました。
がんばろうKOBEも、大賞を受賞しました。

■トップテン入賞になった流行語。
ライフライン。
安全神話。
だ・よ・ね(DA・YO・NE)ま、いっか(MAICCA)
変わらなきゃ。
官官接待。
見た目で選んで何が悪いの!
インターネット。

他にもこんな言葉が流行しました。
PHS、MDプレーヤー、戦後50年、マインドコントロール、超氷河期、SMAP、キムタク、ああ言えば上祐、シャネラー、激やせ、ポアする、ベル友など。

この時代の流行した言葉には、笑いがありますね。ポアする、ああ言えば上祐などは、ギャグのように聞こえてしまいます。

■平成7年に起こった出来事

M7.2 の直下型地震による阪神大震災が発生。
地下鉄サリン事件。
野茂が米大リーグで活躍。
アメリカ連邦政府ビルで史上最悪の爆弾テロ事件。
韓国の廬前大統領 全前大統領が逮捕。
韓国ソウル市で営業中の百貨店が突然崩壊。








1994年の流行と流行語



1994年とは、どんな時代だったのでしょうか。
この年は、ストリートファッションが流行しました。他にスノーボードスタイルが大流行し、70'sUKカジュアルスタイルも話題になりました。女性の間では、透けない白い水着がヒットしました。

平成6年は、全国各地で記録的な猛暑の日が続き、水不足が深刻化した年でもあります。
女性宇宙飛行士、向井千秋さんが宇宙へ行ったのもこの年で、日本人で初めてのことでした。
松本市で有毒ガス「サリン」の事件が発生し7人の方が死亡しました。このニュースはまだ記憶に新しい事件ですね。

映画界では、フォレスト・ガンプ、ライオン・キング、学校、平成狸合戦ぽんぽこなどが話題になりました。
音楽界では、ロマンスの神様、恋しさと せつなさと 心強さと、空と君のあいだに、あなただけ見つめてる、TRUE LOVE、愛が生まれた日などが流行りました。


1994年の流行語大賞は。すったもんだがありました。受賞者は宮沢りえさんに送られました。
そしてイチロー、同情するならカネをくれ、も大賞に選ばれました。
同情するならカネをくれ、の言葉は、ドラマ家なき子の主役が言うセリフです。

トップテン入賞は、価格破壊、ヤンママ、新・新党、大往生、人にやさしい政治、契約スチュワーデス、関空が受賞しました。

他に、携帯電話、CD?ROMソフト、テレビパソコン、カーナビゲーション、マルチメディア、インターネット、サリン、コギャル、いじめ、就職氷河期などの言葉も流行になりました。

携帯電話は、今必需品になっていますが、この時代はまだ目新しかったんですね。時代は進化していてもいじめの問題は、この頃から問題になっていたことに心が痛みます。








1993年の流行と流行語



1993年の流行と流行語について。

1993年の年間大賞はJリーグでした。
新語部門、金賞はサポーター、銀賞は新・○○、銅賞はFAでした。

流行語部門の金賞は、規制緩和、銀賞は清貧、銅賞は天の声でした。
大衆語部門の金賞は親分、銀賞は「聞いてないよォ」銅賞はお立ち台でした。
「聞いてないよォ」はテレビ番組でのダチョウ倶楽部の悲鳴の言葉です。ダチョウ倶楽部はこのギャグが売れっ子のきっかけを作りました。お立ち台とは、ダンスに自信のあるギャルが、自分をアピールする為に、フロアの一段と高くなったお立ち台に上がり、踊るステージのことを言います。

表現部門の金賞は、2500円スーツ、銀賞はウゴウゴ・ルーガ、銅賞はたま・ひよ(族)でした。
たま・ひよ(族)とは、育児誌のたまごクラブと、ひよこクラブに関連していますは、若いママさん達の間で、この雑誌が流行しました。

他にも1993年に流行語になった言葉がたくさんあります。
リストラ、ゼネコン、激安、オラ、聞いてないよ?、ブルセラなどが話題になった言葉として上げられます。

ファッション界ではフレンチ・カジュアルが定着し、DJスタイルが流行します。スケーターやボーダーファッションも流行の一つになりました。またソフトスーツにかわり三つボタンスーツが話題になり、サッカー人気の高まりもあって、スポーツ観戦のファッションスタイルも流行しました。

この年はディスコからクラブへと流行が変化し、雅子さまブームが世間に広まりました。

■1993年に起こった出来事
北海道南西沖地震で、大津波が奥尻島などを直撃。
子供の間でしんちゃん言葉が流行。
矢ガモ騒動。
ナタデココブーム。

私はこの年、受験の面接で、今気になるニュースは何ですか?と聞かれたことに対して、矢ガモです。と答えました。
1993年は私にとっても忘れられない年です。

レジャー施設は福岡ドーム、シーパラダイス、ランドマークタワー、レインボーブリッジが完成しました。

映画界では、 ボディガード、アラジン、ホーム・アローン2、ゴジラVSモスラ、REX・恐竜物語などが話題になりました。
音楽界では、Get Along Together(山根康広 )YAH YAH YAH、ロード、エロティカ・セブン、負けないで、世界中の誰よりきっとなどが流行となりました。








1992年の流行と流行語



1992年の流行と、この年に流行った流行語についてお話したいと思います。

1992年の年間大賞は、きんさん・ぎんさんです。
きんさんと、ぎんさんは、百歳になる双子の姉妹ですチャーミングな笑顔とキャラクターに、日本中の人が好感を持ちました。
きんさんと、ぎんさんは、この年の語録賞も同時に受賞しています
受賞語は百歳の誕生日の感想の答えでした。語録賞「うれしいような、かなしいような」と「はだかのおつきあい」でした。

1992年、新語部門、金賞はほめ殺し、銀賞はカード破産、銅賞はもつ鍋でした。
表現部門の金賞は、複合不況、銀賞は9K、銅賞は謝長悔長でした。
9Kの意味は、看護婦の仕事。休暇がとれない、化粧がのらない、薬に頼って生きている、規則がきびしい、婚期が遅い、給料が安いの6Kがきつい、きたない、きけんの3kに加わったことを言います。

1992年、流行語部門、金賞は冬彦さんでした。
受賞者は、佐野史郎さんと、野際陽子さんに贈られました。
この言葉は、ずっとあなたが好きだったのドラマから来ています。
冬彦とは、佐野史郎さんが演ずる息子の役名です。ちょっと怖い、でも見たい、そんなドラマは話題となりました。

そして流行語部門、銀賞は「ねェ、チューして」銅賞は上申書でした。

1992年、大衆語部門、金賞は宇宙授業、銀賞は歌手の小金沢クン、銅賞はツインピークスでした。

この年によく使われた言葉は他にもたくさんあります。
UFOキャッチャー、パノラマカメラ、アウトレット、HIV(エイズウイルス)エイズ、統一教会、合同結婚式、仮面夫婦、遠距離恋愛、バウバウなどが上げられます。パノラマカメラ、アウトレット、HIV(エイズウイルス)エイズ、遠距離恋愛などは、自然に私たちが口にする言葉ですが、バウバウは現代では死語になってしまいましたね。

この年は、パラダイス・ギャルが流行し、コギャル現象が起こりました。
アニエスbの大ブームや、 バスケット関連のシューズ、ウェアも流行しました。
だぼだぼルック、ブーツ、スニーカーのエアジョーダンVIIも大人気になりました。

1992年の社会や経済は、2番目の日本人宇宙飛行士、毛利さんが宇宙に行きました。
冬夏五輪では日本勢が活躍し、女子200m平泳ぎで岩崎恭子選手が史上最年少の金を獲得しました。
都市型テーマパークは、ハウステンボス、ナムコ・ワンダーエッグ、ワイルドブルーヨコハマが誕生しました。

他に東海道新幹線、のぞみの開通や、2年連続の1万件を超す企業倒産、全国の国公立学校では、週休2日制がスタートしました。

映画では、エイリアン3、氷の微笑、美女と野獣、息子、紅の豚などが話題になりました。
音楽界では、君がいるだけで、You're the Only…(小野正利)悲しみは雪のように、それが大事、涙のキッス、ガラガラヘビがやってくる 、もう恋なんてしない、Choo Choo TRAINなどが大ヒットとなりました。








1991年の流行と流行語



1991年の流行語についてまとめてみました。また、この年はどのようなことが流行していたのでしょうか。

1991年、年間大賞は「…じゃあ?りませんか」
受賞者はチャーリー浜さんです。最近ではこのギャグは耳にしなくなりましたが、当時はとても流行った言葉です。

1991年、新語部門、金賞は火砕流、銀賞は「ひとめぼれ」銅賞は八月革命でした。このひとめぼれと言う言葉は、お米の新しい名前として注目されました。
1991年、表現部門、金賞は川崎劇場、銀賞は地球にやさしい、銀賞は紺ブレでした。
1991年、流行語部門、金賞は若貴で、受賞者はおかみさんこと花田憲子さんに贈られました。現在はかなり若貴の状況も変わってしまいましたが、この時代は大フィーバーでした。
そして流行語部門、銀賞は重大な決意、銅賞は、損失補填でした。


1991年、大衆部門、金賞は「僕は死にましぇ?ん」で、受賞者は武田鉄矢さんに送られました。
トレンディドラマが人気であった1991年。101回目のプロポーズもその一つのドラマでした。
さえない中年男の武田さんが、美女のハートを射止めるという物語。視聴率もよかったドラマだったと思います。私も実際見ていましたが、感動するドラマでした。

そして大衆部門、銀賞は「ダダーン ボヨヨン ボヨヨン」、銅賞はダンス甲子園でした。
ダンス甲子園は天才たけしの元気が出るテレビ!!の番組内で、企画されたものです。特に高校生を中心に流行し、ビデオも発売されていたように思います。

1991年、特別部門、特別賞はチャネリングでした。他に、この年よく使われていた言葉は、NTTムーバ、バブル(破裂・崩壊)土石流、過労死、バツイチ、かい?の、ダイジョウVなどが上げられます。今の時代に、ダイジョウVの言葉は、寒い空気になる予感がします。

この年ファッションも大きく変化していきます。

ジュリアナ東京スタイルの流行、60年代リバイバル(ベルボトムや厚底靴が人気)アディダススタイル(ヒップホップ等)ビンテージものジーンズ、超ミニスカート(膝上10?から20?)ミセスにミニカスートが定着、浴衣ブーム、アクセサリーなどで光ものブーム、茶髪などが上げられます。

映画では、羊たちの沈黙、ターミネーター2、ホーム・アローン、プリティ・ウーマン、おもひでぽろぽろなどが話題となりました。
音楽では、愛は勝つ、ラブ・ストーリーは突然に、SAY YES、どんなときも、はじまりはいつも雨、あなたに会えてよかった、しゃぼん玉などが大ヒットしました。

1991年は宮沢りえのヌード写真集も発売され、歴史ある週刊明星の休刊の年でもありました。








1990年の流行と流行語



1990年の流行と流行語についてまとめて見ました。
1990年の流行語は第7回目になります。この年の新語部門、金賞はファジィです。
ファジィとはあいまいという意味です。受賞者は三上遵太郎(松下電器産業(株)電化本部電化研究所所長)さんでした。

1990年、新語部門、銀賞はブッシュホン、銅賞はオヤジギャルでした。
1990年、新語部門、表現賞はアッシーくんでした。電話するだけで飛んで来て、自分の足代わりに送ってくれる人のこといいます。当時はとても流行した言葉です。
1990年、流行語部門、金賞はちびまる子ちゃん、銀賞はバブル経済、銅賞は一番搾り、パスポートサイズです。
一番搾りは、現在、当たり前に店頭に並んでいるビールですが、当時はアサヒスーパードライに対抗するため、キリンが発売した新ビールの名称でした。
1990年、流行語部門、大衆賞は愛される理由。
1990年、特別部門、人語一体、語録賞は、昭和生まれの明治男でした。
1990年、特別部門、年間多発語句賞は「気象観測史上(はじめての…)」と言う言葉で、受賞者は、テレビ各局のお天気キャスター贈られました。この年は春、夏、秋、冬異常気象の連続でした。今年2007年も異常気象でしたが、この年もお天気の変化が目まぐるしかったんですね。
1990年、特別部門、特別賞はスペシャルゲストの言葉でした。

その他に、この年よく使われ流行になった言葉は、ティラミス、果汁グミ、人面魚、人面犬、イタメシ、ぶっとびー、いけずゥ、成田離婚、見逃してくれよ?、トリカブト、オタッキー、あげまん、○○じぁあ?りませんか、三高(高身長、高学歴、高収入)などが上げられます。今でもティラミス、果汁グミ、イタメシあげまんなどの言葉は使われていますが、ぶっとびー、いけずゥなどは死語になってしまいましたね。

1990年の社会、経済状況、ファッションの流行と変化について。
カジュアルスタイルの時代、女子高生スタイのル人気、ショートパンツ流行、ミニスカートの定着、ちびまる子ちゃん現象、カラオケボックス激増、バラドル(バラエティー系アイドル)などが話題を呼びました。
そして、礼宮さま、紀子さま結婚の儀を執り行った年でもありました。

映画では、バック・トゥ・ザ・フューチャー3、バック・トゥ・ザ・フューチャー2、ゴースト、バットマン、天と地と、タスマニア物語、稲村ジェーンなどがヒットしました。
音楽では、おどるポンポコリン、今すぐKiss Me、くちびるから媚薬、真実の果実など、どれをとっても現代では、名曲になっています。








1989年の流行と流行語



1989年の流行はどのような物がはやったのでしょうか。
また流行語はどんな言葉だったでしょうか。

1989年、新語部門、金賞はセクシャル・ハラスメント。銀賞はHanako、銅賞はデューダ(する)でした。
銀賞は、Hanako、女性雑誌のことです。

1989年新語部門、表現賞は、まじめ×ゆかい。濡れ落葉です。
1989年は、まだ言葉がちょっと難しく、わかりづらい時代と言う印象があります。

1989年、流行語部門、金賞はオバタリアン、銀賞はケジメ、銅賞は「24時間タタカエマスカ」です。
金賞のオバタリアンとは、どのようにしてこの言葉が生まれたか、ご存知でしたか?
ホラー映画のバタリアンと、オバサンを合成したマンガ、オバタリアンからこの言葉が生まれました。
「24時間タタカエマスカ」は、栄養剤リゲインCMから生まれた言葉です。この年の夏、甲子園の応援ブラスバンドにまで登場するほどの流行になりました。

1989年、流行語部門、大衆賞はイカ天、「こんなん出ましたけど?」です。
イカ天とはてんぷらではなく、平成名物TV、イカすバンド天国の略語を言います。
このテレビ番組は、勝ち抜き戦で素人バンドが争い、プロ活動を始めるバンドが出たほどの大ヒットの番組です。

1989年、特別部門、特別賞は『壁』開放。
ベルリンの壁が打ち壊された、歴史的出来事が起こりました。
そして特別部門、特別賞は平成。
この年の1月8日、昭和から平成に変わります。
それにともない平成の文字は、あらゆるところで使われました。特別賞受賞者は、平成になって初めて誕生した赤ちゃんに贈られました。

1989年特別部門、語録賞はNOと言える日本。
受賞者は石原慎太郎さんです。

他によく使われた言葉は、オタク、リゲイン、はちみつレモン、カラオケボックス、吉本バナナ、けばい、バイリンギャル、アッシー、みつぐ君、3K(汚い きつい 危険)ホコ天、ツーショット、グッドですよ、イケイケ、Mr.レディなどの言葉が流行していました。
どれも懐かしく思えます。

音楽では、淋しい熱帯魚を歌ったWINK、ふりむけばヨコハマを歌ったマルシア、他にDiamonds、世界でいちばん熱い夏などのプリプリ、とんぼ、太陽がいっぱい、嵐の素顔、黄砂に吹かれてなどが流行しました。

映画では、ドライビング・ミス・デイジーや、インディ・ジョーンズ最後の聖戦、カクテル、魔女の宅急便、座頭市、釣りバカ日誌などが流行しました。

ファッションは、イタリアンインポートがブームになり、イタリアンファッションが流行します。
サラリーマンのビジネススーツは、ソフトスーツが浸透し、ラルフローレンが大人気になりました。
ロングフレアスカート、輸入ジーンズ、綿のシャツ、ラムウールのセーター、エスニックブームでスパイシーカラーのバンダナハット、プリントシャツなども人気でした。
またダナ・キャランの新ブランドDKNYが、キャリア女性を中心に人気が高まりました。

昭和64年、平成元年の経済と出来事は、平成スタート、消費税スタート、ベルリンの壁崩壊、美空ひばりさん死去、礼宮さま 川嶋紀子さんと婚約、海外旅行、留学ブームなどで、この年は、横浜アリーナ、横浜ベイブリッジ、幕張メッセ、葛西臨海水族園などが出来ました。

昭和64年は、平成のスタートの年となり、この年から、今身の回りで当たり前になっていることが、浸透してきているように思います。








1988年の流行と流行語



1988年の流行と流行語についてまとめてみました。

1988年、新語部門、金賞はペレストロイカ。銀賞はハナモク、銅賞はトマト銀行です。
ハナモクとは、週休2日制が定着した時代に、木曜日が遊ぶには最適な日と言うことで、この言葉が流行しました。

1988年、新語部門、表現賞は遠赤、カイワレ族です。
この年は、現代と同じく健康ブームでした。遠赤とは遠赤外線のことを指しています。
カイワレ族とは、完全な管理のもとに育てられるカイワレ野菜と、管理社会の中でしか生きることが許されない中学生、高校生の姿を照らし合わせて流行した言葉になります。

1988年流行語部門、金賞は、今宵はここまでに。銀賞はドライ戦争、銅賞はシーマです。
ドライ戦争とはビールなどに使われている、ドライからこの言葉が流行りました。
シーマは、日産が新発売した高級車で、爆発的な人気を博しました。この年は、高級品志向の商品が数多く発売され、日本人の意識の変化の言葉としてシーマ現象と言われました。

1988年、流行語部門、大衆賞はアグネス論争、5時から男、しょうゆ顔、ソース顔です。
今の時代に、5時から男の言葉を使うと、空気が冷めるかもしれませんが、逆にうけるかもしれませんね。
女性が好みのタイプを聞くとき、今でもしょうゆ顔、ソース顔は使われている言葉です。1988年にしょうゆ顔、ソース顔が生まれたんですね。

1988年、特別賞部門、特別功労賞は、一村一品、ヒューマン・ブランドです。
1988年、特別賞部門、人語一体傑作賞は「ユンケルンバ ガンバルンバ」
1988年、特別賞部門、報道傑作賞は「ふつうは“汚職”と申します」

この時代の流行は、他に、ティファニー現象、ニューリッチ流行、渋カジブーム、タレントキャラクターブランド、ワイドパンツ流行、女性のパンツスタイル流行、黒のレザーのハーフコートの人気、ヒマワリの花柄流行、さらさらヘアなどがあります。
ファッションは、流行が繰り返されていることがよくわかりますね。
そしてTVドラマではW浅野が大ブーム、 クロワッサン症候群、玉の輿症候群なども流行りました。
音楽では、純愛をテーマにした、松任谷由美さんのDelight Slight Light KISS が、100万枚をセールス、他にオペラブームも到来します。光GENJIのパラダイス銀河、男闘呼組なども大人気でした。他にカラオケの定番ソング、乾杯、MUGO・ん…色っぽいなども1988年に流行した音楽です。

よく使われた言葉には、Xデー 、フリーター、プータロー、のりピー語、逆輸入、ゲロゲロ、セクハラ、くう・ねる・あそぶ、オバタリアン、ファイブミニなどが上げられます。のりピー語は言葉だけでなく、文字まで流行りましたね。

そして昭和63年の歴史は、青函トンネル開業、東京ドームの完成、瀬戸大橋の開通、天皇陛下の容体が悪化、東北新幹線、上越新幹線が開業、コインシャワー イラン・イラク戦争8年ぶり休戦などが起こりました。ずいぶん昔のように思っていたことも、まだ最近の出来事なんですね。

映画では、レインマン、ラストエンペラー、怒りのアフガン、あぶない刑事など。








1987年の流行語



1987年の流行語と歴史をまとめてみました。

1987年、新語部門、金賞はマルサ。
映画「マルサの女」からこの言葉が流行しました。
1987年、新語部門、銀賞はJR。
当たり前のように使われている言葉、JRですが、この年の4月1日に国鉄が115年の歴史に幕を降ろしました。
7つのJRに分割され、民営鉄道会社として再スタートを切った歴史ある年になります。
国鉄時代のJNRからN(National)を外しただけの呼称でしたが、わかりやすい単純な言葉がうけ、世の中に認知されました。

1987年、新語部門、銅賞は第二電電。
1987年、新語部門、表現賞はサラダ記念日。

1987年、新語部門、表現賞は朝シャン。
この言葉は、資生堂のCMで、朝のシャンプーのフレーズが、高校生の間で簡略化された言葉です。
今では当たり前のように、朝シャンプーする人が多くいますが、この時代は珍しかったんですね。

1987年、新語部門、表現賞はノリサメ。
ノッているかと思うとサメている、まったく新しいタイプの人物群。
みなさんは知っていましたか?今この言葉を聞いてもまったくわかりませんでした。
流行の言葉がノリサメとは、驚きです。

1987年、流行語部門、金賞は、懲りない○○。銀賞は「なんぎやなぁ」銅賞はゴクミ。
銅賞のゴクミとは、後藤久美子さんのことです。元祖の国民的美少女と言われたゴクミ人気が、この年に大フィーバーしました。

1987年、流行語部門、大衆賞はマンガ日本経済入門。そしてワンフィンガー、ツーフィンガー。

1987年、流行語部門、大衆賞はサンキューセット。
このサンキューセットは。マクドナルドのハンバーガーセットを390円で売り出した、ネーミングです。

1987年、特別賞部門、特別功労賞は、国際国家。特別賞は鉄人です。

1987年も、まだお堅い時代だったように思えますね。今流行している言葉や、いろいろな物が、当時には存在していない。そう考えるとなんだか不思議です。








1986年の流行語



1986年の流行語と歴史についてお話したいと思います。

この年、流行語は第3回を迎えました。昭和61年の年です。

1986年、新語部門、金賞は究極。
この言葉は当時でも新語ではありませんでした。
しかし、究極が選ばれた理由は、あらゆる料理に究極を求めるグルメブームにありました。
他に、究極の温泉などと言った言葉で使われ、この言葉が、マニアックな日本人を表現するピッタリの言葉として流行したのです。

1986年、新語部門、銀賞は激辛。
この言葉は、グルメ時代の幕開けを特徴づけた新しい言葉となりました。
韓国、東南アジア、中南米などのエスニック料理、そしてカレー業界やラーメン業界をも巻き込んだ、激辛の時代が始まりました。

1986年、新語部門、銅賞はファミコン。
まだこの時代でも、一家に1台、ゲームがある時代ではなく、テレビゲームがある家に、友達が集まったものです。
ファミリー・コンピュータは、革命的な新商品として、爆発したゲームです。通称、ファミコンと呼ばれました。今でもたまに昔のゲームをしたくなります。

1986年、新語部門、表現賞は川の手、アークヒルズ、そして家庭内離婚です。
家庭内離婚は、現代、日常的にこんな言葉が使われていますが、当時は、世の中にショックを与えた言葉になります。
流行と時代を感じますね。

1986年、流行語部門、金賞は新人類。
1986年、流行語部門、銀賞は知的水準。
1986年、流行語部門、銅賞は「亭主元気で留守がいい」

「亭主元気で留守がいい」の言葉は、テレビCMから生まれたフレーズです。
この年、1番人気のCMとなり、世間を賑わせました。時代が変わっても、現代にもこの言葉が通用する気がします。

1986年、流行語部門、大衆賞はおニャン子。
おニャン子クラブは、フジテレビで放映されたバラエティー番組でした。
出演者のほとんどが素人の女子高生。おニャン子は番組開始以来、信じられないほど増大しました。今でも芸能界で活躍している人がたくさんいますね。

1986年、流行語部門、大衆賞は「プッツン」
この言葉は、コメディアン、片岡鶴太郎が飛ばしたギャグから生まれました。当たり前のように使われていますが、今この言葉を連発すると、死語なのかもしれません。

1986年流行語部門、特別賞は「やるしかない」
土井たか子さんが政界で発言した言葉です。

1986年、流行語部門、特別賞は150円台。
1986年、流行語部門、語録賞は「バクハツだ!」「なんだかわからない」
1986年、流行語部門、不快語追放応援賞は、地揚げ、底地買い。

今でも使われている言葉と、よくわからない言葉が入り混じった1986年ですね。








1985年の流行語



1985年はどのような言葉が流行したのかまとめてみました。

1985年は流行語の第2回になります。言葉は、その時代に何が起きていたのかを表しています。
今だとちょっと笑える言葉などもありましたよ。

1985年、新語部門、金賞は分衆。
この言葉は、日本社会の自信を表した新語で、経済的絶頂期目前でした。日本人の価値観が、個性化、多様化、分散化して来たことから、従来の均質的な大衆の言葉ではなく、分衆が生まれました。

1985年、新語部門、銀賞はパフォーマンス。
現代では、演劇、舞踏、音楽などの表現活動全般を指すパフォーマンスの言葉は当たり前に使われていますが、この年は、お堅い日本社会党が、愛と知の力のパフォーマンスという言葉を使ったことから、国民の間にパフォーマンスと言う言葉が広がりました。

1985年、新語部門、銅賞はNTT。
1984年、12月20日に電電改革三法が成立しました。民営化された日本電信電話公社は、NTT(日本電信電話株式会社)として再スタートを切ります。今当たり前のように使われている名前ですが、NTTという名は新社名発表から数カ月で認知されました。
NTTの言葉が流行語になったとは驚きです。

1985年、新語部門、表現賞はキャバクラ。
この言葉も現代では当たり前ですね。このキャバクラとは、キャバレーとクラブの合成語になります。
残り策として、風俗産業から考え出された新しい業種となりました。

1985年、新語部門、表現賞は言語戦略。そしてネバカ。
ネバカとは、オールナイターズやおニャン子クラブブームが真っ盛りの世相を批判した新語です。おだてられ、舞い上がっている女子高生たちを指摘した言葉が、根っからのバカでした。時代を感じますね。

1985年、流行語部門、金賞は「イッキ!イッキ!」
私たちが当たり前のように使っている言葉ですが、この言葉も1985年の流行語から生まれたんですね。
お酒を飲むときに周囲の人がはやしたてるかけ声としてよく使います。以

1985年、流行語部門、銀賞はトラキチ。
この年、21年ぶりの優勝を遂げた阪神タイガースをサポートした応援団のことを言います。
ハッピ、メガホン、帽子の三種で身を包み、阪神命と大フィーバーする社会現象になりました。

1985年、流行語部門、銅賞は角抜き。
1985年、流行語部門、大衆賞は「私はコレで会社をやめました」
懐かしいCMをご存知でしょうか。禁煙パイポのCMから生まれた言葉です。
小指を立てた男性は、私はこれで会社を辞めました。とオチを言うシーンが忘れられませんね。

1985年、流行語部門、大衆賞は「投げたらアカン」
1985年、流行語部門、特別賞は100ドルショッピング。
1985年、流行語部門、特別語録賞は「愛しているからチラいのよ」
1985年、流行語部門、特別功労賞はテレビ番組「ひょうきん族」から発する各種流行語でした。

ひょうきん族の時間が楽しみだった子供の頃の記憶が、今でも頭に残っています。
時代の流行と言葉には、それぞれの思いが込められているように思います。








1984年の流行語



第1回の流行語は、1984年、昭和59年にスタートしました。

1984年の新語部門、金賞はオシンドロームです。
この時代は、連続テレビ小説、おしんが超人気番組でした。
おしんの物語は、凄まじい苦労の連続を必死に耐える日々の物語。良質の日本人像として、戦後を働き抜き、豊かさを手に入れた日本人の心情に共感の嵐を巻き起こしました。
苦しくても明るさを失わず、他人に優しい主人公のおしんの物語、見た人はみな涙したものです。
おしんドロームは、その状況を全国民の感情がシンドローム化しているとして、このように表現されました。

1984年、新語部門、銀賞は鈴虫発言。
受賞者は、中曽根康弘(内閣総理大臣)です。
昭和58年、田中角栄元首相にロッキード事件の実刑判決が下されました。
同年暮れの総選挙は、政治倫理問題が最大の争点となり、中曽根首相は、「倫理、リンリと、まるで鈴虫が鳴いているようだと」切り返した言葉が流行語の銀賞に選ばれました。


1984年、新語部門、銅賞はスキゾ・パラノ。

この言葉は一体何?と思いましたが、浅田彰さんが(京都大学助手)人間の特質を分類した言葉になります。
それはスキゾ人間とパラノ人間。スキゾ人間とは、ひとつのことにこだわらず、いろいろなことに興味を持つ人。パラノ人間とは、ひとつのことに熱中して、ほかのことは全く考えない人を言います。


1984年、新語部門、特別賞は特殊浴場。
この言葉は、ソープランドには、トルコ風呂という俗称があり、トルコからの留学生が、トルコの名前を消すことに努力し、特殊浴場などの名前が提案された言葉になります。

1984年、流行語部門、金賞は、まるきん まるび。
1984年、流行語部門、銀賞は、くれない族。
1984年、流行語部門、銅賞は、疑惑。
1984年、流行語部門、特別賞は、千円パック。

1984年、流行語部門、大衆賞はす・ご・い・で・す・ネッ。と教官!になります。

どうしてこの言葉が流行ったの?と思わせますが、時代を感じさせられますね。








1980年代の流行



1980年代はどのようなファッションが流行っていたのでしょうか?
時代と共に、流行は変わってきましたが、ここで80年代のファッションについてお話したいと思います。

DCブランドの時代が1980年代です。
DCとはデザイナー&キャラクター、ブランドの略を指しています。
代表的なブランドは、川久保玲のコム・デ・ギャルソン、山本耀司のワイズなどになります。
DCブランドの背景は、バブル期が始まろうとしていた80年代、若年層でも自由に使えるお金があり、ファッションにたくさんのお金をかけられる時代でした。DCブランドブームには、全身を一つのブランドでまとめるスタイルも増え、ブランドやデザイナーで、着る人の個性と自己主張となりました。

バブル景気は80年代後半になると、加速度を増していきます。
セクシーな大人の女性を目指す社会人の女性が、セクシーなファッションのボディコンスーツを着るようになりました。通勤時にも着られるようにと言うことですが、現代には考えられませんね。

DCブランドのルーズなデザインに満足できなかった女性は、ボディコン派になり、このファッションは急速に広まっていきます。
ボディコンのブームは1986年?89年頃まで約3年間続きました。
ボディコンとはボディ・コンシャスの略で、女性としての体型を意識する、ファッションスタイルです。
日本でイメージされるボディコンスタイルは、ミラノコレクションで発表されたスタイルをさらに強調し、体の線が目立つようにされた服です。
ヘアスタイルは、前髪をカールさせたワンレングスが定番でした。
仕事を終えた女性たちは、ボディコンスタイルでディスコへ繰り出し注目されます。

1988年頃はバブル期の頂点でした。
この頃から、カジュアルなファッションスタイルが広まります。
ポロシャツ、白のTシャツ、ストライプシャツやインポートもの。そして紺のブレザー、ストレートジーンズ、ヴィトンのバッグ、足元はモカシンというファッションは渋カジと呼ばれます。
このファッションスタイルの発信源は、渋谷区、世田谷区、港区などで、私立の男子高校生が流行らせたものです。

時代は変わりますが、ファッションの流行は繰り返されていることがわかりますね。








1970年代の流行



1970年代の流行は、どのようなファッションが流行っていたのでしょうか。

70年代ファッションの流行と言えばジーンズです。
ジーンズは、ヒッピーが世間に広めたファッションアイテムです。

60年代後半から活発化した学生運動、ジーンズは自由や反抗、反体制の象徴でもありました。
このジーンズが、よくも悪くも若者ならではのファッションとして流行していきます。

ジーンズが流行り始めた当初は、シンプルなストレートジーンズが主流でした。
その後にベルボトムジーンズが登場し、ジーンズが最先端ファッションとして認識されていきます。
定番のファッションコーディネートは、上げ底の靴に、体にフィットしたTシャツをあわせ、腿はぴったり、裾は地面スレスレで、ラッパのように広がったデザインのジーンズがオシャレでした。

70年代前半は、ジーンズがファッションとして受け入れられるようになり、作業着だったはずイメージはなくなりました。
70年代半ばには、スポーツファッションや、アウトドアファッションを日常着る服として、着用する若者達が増えていきます。
本来はアウトドアウェアのアイテムが、タウンカジュアル化したスタイルを、ヘビデューティーと呼び、ダウンベストやダウンジャケット、トレーナー、スニーカーなどが流行しました。
現在でも、カジュアルなのに実用的なファッションアイテムは、1970年代から広まったと言えます。

このファッションの流れは、1975年、ベトナム戦争が終結し、アメリカに若者文化が戻ってきたため、テニス、サーフィン、ジョギングやなどが遊びの文化として生まれ始めました。

そして70年代は、ファッション雑誌の創刊が続きました。
70年、an an、71年non-no、77年more、クロワッサン、79年JJなど、現代のファッションの見本となる雑誌のほとんどが70年代にスタートしたことがわかります。

1975年頃か80年代前半にかけ、神戸発のお嬢様風ファッションスタイルが流行りました。
このスタイルニュートラと言います。
ファッションの特徴は、定番のブレザーやワンピース、カーディガンなどのアイテムに、グッチやセリーヌ、フェンディ、エルメスなどの有名ブランドを合わせるスタイルです。
この名前の名付け親はan an、しかし実際に流行の中心となったのはJJになります。

79年には、竹の子族も流行しました。原宿歩行者天国に登場した懐かしい歴史です。








1960年代の流行



1960年代の流行はどのようなものが流行っていたのでしょうか。
60年代のファッションなどについてお話したいと思います。

1958年から続く、岩戸景気で幕開けした60年代は、高度経済成長が進む中、ファッションの世界も華やかになっていきます。
60年代に流行ったファッションがVANを発端としたアイビー・ルック。ブームを巻き起こしたアイビー・ルックは、アイビーリーグに伝わるファッションで、アメリカ東海岸の名門8大学から来ています。
ファッションの特徴は、ずん胴型シルエット、ナチュラルショルダ?、3ボタンというストレ?トな細長いラインです。

そして1964年、東京オリンピックが開催されます。
この年、突発的な流行が起こったみゆき族。64年、5月頃から大勢の若者が、銀座のみゆき通りや並木通りにたむろするようになりました。みゆき族は、みゆき通りから名づけられた社会現象になりました。
みゆき族の特徴は、アイビー・ルックを少し崩したスタイルで、二つに折ったハンカチーフを頭にかぶり、ロングスカートのバックに共布のリボンベルトを結んだスタイルです。
そして男女ともに、バックは大きな紙袋か麻袋を抱えていました。紙袋ではVANが大人気。
しかし、東京オリンピックに向けて、築地警察がみゆき族を一斉に補導し、みゆき族は一夏を境に姿を消します。

60年代半ば、グループサウンズに音楽の世界では注目が集まります。
ブームは、ビートルズが来日した1966年。彼らが着ていたモッズファッションが、大きな影響を与えました。
モダーンズを略してモッズと呼ばれたファッションはロンドンの下町から発信されました。
その特徴は、長髪に船員帽、花柄や水玉柄などの派手なシャツ、幅広ネクタイ、股上の浅いスリムパンツ、そしてブーツなどです。
しかし、ファッションの奇抜性で、大流行までにはいきませんでした。

1967年、新宿東口駅前広場の若者の集団。仕事もしていない彼らのファッションは、汚れたTシャツにジーンズ、素足にサンダル、ユニセックス、ショルダーバッグ、長髪、無精ひげなど。フーテンやヒッピーと呼ばれた彼らの中には芸術家もいました。
一方アメリカでは、音楽やファッションで新たな表現を生み出す、サイケデリックムーブメントが起こります。
これは、ドラッグで得られる幻覚や意識拡大を通じて、表現されたものです。
日本でも、サイケ調のデザインが流行するようになります。

その中心となったのが東京新宿。
サイケ調インテリアでロックが爆音で流れる中、サイケ調ファッションの洋服やポスターが売られ、サイケスナックが目立つようになります。こうしたサイケファッションの若者達をサイケ族と呼びました。

現代流行している、股上の浅いスリムパンツなどは1960年代の流行が、繰り返されていると言えますね。








1950年代の流行



現代のオシャレや流行は、時代を繰り返し、昔流行ったものがまた違う形で顔を出しています。
日本の50年代は、どんな物が流行ったのでしょうか。
はじめに50年代のファッションについてお話したいと思います。

50年代、アメリカンスタイルがブームとなりました。
消費文化が一挙に花開いた1950年代、戦争の傷痕が癒え始めた頃です。
1947年、クリスチャン・ディオールがパリでニュー・ルックを発表しました。
ニュー・ルックとは、布をふんだんに使ったスカート。女性らしいスタイル、丸みを帯びた肩と胸、細く絞ったウエストが特徴です。
このニュー・ルックが、ファッションの流れを50年代に広めました。そして華やかな服が次々とその後も創り出されて行くきっかけとなりました。50年代初頭は、日本でも布地を多用した、裾の広がったスカート姿の女性が町を彩りました。
当時、アメリカ経由のスタイルだったため、日本ではアメリカン・スタイルと言われていましたが、その原型は、ニュー・ルックと言い、世界的に流行しました。

また50年代は映画が娯楽の中心で、ヒット映画に登場したファッションが流行する時代でした。
映画がファッションリーダーの存在の中で、1953年の邦画、君の名は、からは真知子巻きが生まれました。
1954年のローマの休日からは、ヘップバーンカットと呼ばれたヘアスタイルが流行となりました。

一方、50年代のメンズファッションは太陽族になります。
1956年、芥川賞を受賞した石原慎太郎、太陽の季節。これは、戦後の不道徳と言われていた若者の姿が描かれています。
同名の映画と同時に、そこに登場する人物たちのファッションスタイルを真似た若者が多くなり、彼らのことを太陽族と呼ぶようになります。太陽族の特徴は、石原慎太郎の名前を冠した、慎太郎刈り。このヘアスタイルは、スポーツ刈りの前髪を、額に垂らしておくスタイルです。ファッションは、細身のマンボズボンにアロハシャツ、そしてツートンカラーの靴にサングラスなどになります。
その後、ロカビリーファッションでも共通して流行ったアイテム、マンボズボンは、社会現象になりました。

アメリカンスタイル、そして太陽族は、今までの古い価値観を捨て、自由を象徴する若者の間で流行ったファッションです。
つまり50年代は、新しい時代への期待と豊かさへの憧れが、ファッションに深く反映された時代だったと言えるでしょう。

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